BLとは、性愛に関して、女性が女性である自らの肉体と「語る存在」としての精神的な欲望を調和させようとする営み

コミック・マーケット92で頒布予定の「女性による女性のための神話としてのBL」のセクション3のさわりを紹介します。

論点の整理

まず、前章で四人の論者が指摘した、女性がエロスを楽しむ上での障害について整理してみたい。中島においてそれは「男権主義社会の制度」であり、野火においては「性愛における女性差別」とそれを内面化した女性の意識、そして肉体的な男女差、斎藤においては、「語る存在」であることと、「女を演じること」との齟齬、溝口の場合は「社会のホモフォビアや異性愛規範やミソジニー(家父長制社会)」である。これらの「障害」について、あえて分類すると、社会のありように関するもの、女性自身の内面についてのもの(意識的なもの、無意識的なもの含めて)、そして生物学的なものの全てが含まれていることがわかる。

どこに着目するかの違いはあるものの、四人の論者はすべて、女性が性愛を楽しむことに関して何らかの障害があり、その障害を回避して性愛を楽しむためにBLを愛好する、と考えていることになる。

その他に四つの論に共通しているのは、「自分が自分であることによって愛される」ということと、女性であることによって愛される−−−−女を演じることによって愛される、女性としての社会規範に沿うことによって愛される、女性の肉体を持つことによって愛される−−−−ということとの対立の図式である。

最初に述べたように、筆者は大筋でこれら先行の研究者の考えに同意するが、筆者なりにこれらをまとめて再提示することを試みたい。

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BLの意義についての先行研究の概観

コミック・マーケット92で頒布予定の「女性による女性のための神話としてのBL」のセクション2の内容を紹介します。

BL文化の意義に関する以下の四つの主要な先行文献の内容を紹介します。

中島梓(1998)『タナトスの子供達−−過剰適応の生態学−−』

野火ノビタ(2003)『大人は判ってくれない−−−−野火ノビタ批評集成』

斎藤環(2009)『関係性の化学としての文学』

溝口彰子(2015)『BL進化論−−ボーイズラブが社会を動かす−−』

 

プロローグ BLが私にくれたもの

コミック・マーケット92で頒布予定の「女性による女性のための神話としてのBL」のセクション1のさわりを紹介します。

 本文に先立ち、私が個人としてどのような立場でBLと関わってきたのかを明らかにしておくことは、読者と私の双方にとって有用であろう。

 本書は「BL愛好家の女性にとってのBLの意味」を論ずることを目的としているが、私はこれを書く以前、「私個人にとってのBLの意味」について考察するエッセイを書き、友人たちと共有した時期があった。そのテーマを掘り下げるきっかけとなったのが、心療内科医として(現在は精神科医として勤務中なのだが)個人的に教育分析を受けていた時の、セラピストからの−−−−私にとっては−−−−意外な一言だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(つづく)

コミック・マーケット92に配置が決定しました。

このブログも久しく更新が滞っていたわけですが、なんと、コミック・マーケット92に配置が決定しました。

三日目の日曜日、8月13日 東地区 U ブロック 21bです。

配布物の内容としては、以下のような章立てを考えています(今後変更する可能性もあります)。

タイトル:女性による女性のための神話としてのBL

はじめに

BLの意義についての先行研究の概観

BLとは、セックスにおいて女性がファルス的欲望を貫こうとする営み

旧来のフェミニズムは必ずしも女性の性的欲望や多様性を応援してこなかった

「異質を受容・肯定する装置」としてのBL

マゾヒズムの中にあるファルス的欲望—受けのファルスを攻めが受け止めるというBLに特徴的な構図–

女性のファルス的欲望と「親殺し」

結論