コラム:二次創作最強論

こちらのコラムを一言で表現すると、「おとぎ話を批判するぐらいなら、おとぎ話を元に二次創作してみたら?」という提案です。それから「二次創作を利用してお子様や自分の創造性や主体性を育むのはどうでしょう」という提案です。

普段やらない二次創作に挑戦してみました。

二次創作こそ最適論〜 白雪姫の王子のキスは 準強制わいせつでは ないかという ツイートを巡って〜

はじめに

「『白雪姫』の王子のキスは『準強制わいせつ』ではないか」というツイートがネットを騒がせている。発信者の牟田和恵教授は、社会学とジェンダー論を専門とする学者であり、ベストセラー『部長、その恋愛はセクハラです!』の著者でもある。

短いので全文を引用する。

白雪姫とか眠り姫とかの「王子様のキスでお姫様が長い眠りから目覚めた」おとぎ話、あれも、冷静に考えると、意識のない相手に性的行為をする準強制わいせつ罪です。「そんなの夢が無い」との反応あるかと思いますが、逆にこんなおとぎ話が性暴力を許している、との認識に至っていただきたいものです。 @peureka2017/12/11)

(上の写真はluffy2009さん撮影)

親御さんの本の選択はもちろんご自由ですが、王子というだけで突然女性にキスする、なんて話、気持ち悪くないですか?男の子にそんなDV男に育ってほしくないし、女の子にはそんな無力な被害者になってほしくないですよね?ひたすら受け身の女の子が幸せになる、みたいな教訓ですか?  (@peureka2017/12/12)

なおこのツイートは、9月に大阪の電車内で発生した「眠っている女性に男がキスをした」という事件(http://www.news24.jp/articles/2017/12/11/07380223.html)で、男が準強制わいせつ罪で逮捕されたという12月11日の報道を受けてのものである。牟田はこの件に関しその後、女性と女性の活動をつなぐポータルサイト“women’s action network(WAN)”に、よりまとまった量の文章を寄稿している(https://wan.or.jp/article/show/7589#)。

なお筆者は、この件のような性暴力の発生を防ぐという目的に関しては全くもって賛同しており、「性的同意についての教材を作る」というキャンペーン(https://camp-fire.jp/projects/view/46642)にも参加している。

また、おとぎ話が性暴力を許す風潮を作っているかどうかについて、筆者は牟田とは異なる意見を持っているが、そのような懸念があるということ自体は重要な指摘であり、研究する価値のあることだと考えている。

しかし、本稿では、おとぎ話について別の見方もできることを示し、私なりの解決策を提案してみたいと思った次第である。

女の子=お姫様、男の子=王子様?

フィクションやファンタジーの良いところは、女の子であってもヒーローに感情移入できたり、男の子であってもヒロインに感情移入できるところではないだろうか?

小倉千加子は『セクシュアリティの心理学』の中で、一般的な異性愛女性の中で少なからぬ割合の女性が、マスターベーションの際に男性となって女性とセックスをするファンタジーを楽しんでいるという調査結果を紹介している。

脇道にそれるが、世の中にフィクション中の異性に感情移入したことのない人がどれ位いるのか、年齢や性別による違いがあるのか、というのは興味深い疑問である。

しかし親自身の心にそのような柔軟性がなければ、子供が「自分と同じ性別の登場人物にしか感情移入してはいけない」と受け取る可能性はある。おとぎ話に触れた子供が「現実の女の子=無力」「現実の男の子=勝手にキスしてもいい」と受け取るようであればそれは、大人による物語の提示の仕方にも一因があるのではないだろうか。

白雪姫は被害者か?

王子がキスした時点で、白雪姫は死んでいたのであり、王子のキスに対してYesかNoかを表明できない状態にあった。王子のキスは、白雪姫が今後意思を表明できる状態にしたという意味で、白雪姫にとって救済ではないだろうか?

おとぎ話の深層心理学的な解釈

ユング心理学には、長く語り継がれたおとぎ話は民衆の深層心理の表れである、と考える。これはどういうことかというと、「王子」は男女問わず、人間の能動的な

「自我」の象徴であり、「死んでいる白雪姫」は人間の無意識の自我意識に対する受動性を表していると考えるのである。未熟な段階の自我は、自我を産み育てるとともに飲み込み殺してしまうグレートマザー(物語中では悪い母親像や怪物として表れる)と分離できず、異性像で表される自らの魂(アニマ・アニムス)と肯定的な関係を結ぶことができない。成長した自我が、怪物などの敵を倒し、グレートマザーと分離して初めて、自らの魂や現実の異性とも実りある関係性を持つことができると考えるのである。

つまりこれらのおとぎ話は、男女問わず自我と魂の関係の成長過程を表しているという見方もできるのである。

最適解を探る

そうは言っても牟田が言うように「女の子=お姫様=受動的、男の子=王子様=能動的」というような物語の受け取り方も可能なことは確かであり、社会に影響を与えていると言われれば、完全に否定することもできない。

牟田は「親御さんの本の選択はもちろんご自由」と言う。しかし同時に牟田にとってこの物語は「気持ち悪い」のである。私の中にも牟田に同意する気持ちが10%ほどはあることを認めよう。

それではこの問題についての最適解とはなんだろうか?あなたはこの物語を子供達に伝えたいだろうか?それとも伝えたくないだろうか?

−−−−そのような二択の中に最適解はないというのが私の答えである。

−−−−ではどうするのか。

物語を伝えた上で、いろいろな例を示して子供達の多様な感じ方を引き出し、肯定し、ちょっとでも物語に気に入らないところがあれば、自分で新しい物語を作ることを−−−−即ち二次創作をするようことを−−−−促すのである。

これ以上に子供の主体性を肯定する方法があるだろうか。不満を言うだけでなく、新しい文化を創造する道を教えるのである。

そしてこれこそが、おとぎ話の夢を壊すこともなく、誰も気持ち悪くならずにすむ方法ではなかろうか。

こんな二次創作はどうか?

 王子は神のお告げにより、自分がキスをしたら白雪姫が蘇ることをあらかじめ知っていた。しかし蘇った白雪姫が王子を愛するかどうかは神にもわからず、王子は蘇った白雪姫から愛されるか、嫌われてしまうのか、それを前もって知ることはできないのだった。

 迷いに迷った王子であったが、たとえ自らが嫌われてしまったとしても、白雪姫を見殺しにすることはできないと決意し、王子はキスをすることを選択した。

 そして、王子の無欲さと謙虚さに心を打たれた白雪姫は心から王子を愛するようになったのであった−−−−めでたし、めでたし。

 心なしか、この王子はよりヒーローらしくなった気がするから、私としては満足である。

全ての人を満足させる物語を作ることはできないかもしれない。しかしあなたや私が満足する物語を作ることはできる。

過去の人類の遺産を切り捨てるのでもなく、硬直した伝統を死守するのでもなく、文化を過去から未来へと創造的に紡いでいく責任は、私たち一人一人にあるのだ。(コミックマーケット93 12/31 東6地区ト−25b ではこのコラム以外にも頒布物を用意しています。)

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