座談会レポート

昨年12月、私のエッセイを読み興味をもってくれている女性の友人たちを集め、座談会を行った。会のサブタイトルは〜ボーイズ・ラブを通して語る「自由とは?」〜

ちなみに、私のエッセイや座談会に興味を持ってくれる女性の方の、約半分ぐらいは、人生で一度もBL愛好家だったことはなく、今後もそうなることはないだろうという人たちである。残りの半分は思春期から青年期にかけて、通過儀礼のようにBLないし「やおい」のお世話になったという方。そして私のエッセイがきっかけで大人になってからBLに目覚めた人も。

いずれにしても、エッセイをきっかけとして、自分の中で自覚することにさえストップをかけていた様々な感情に気づき、それを、場合によっては「生まれて初めて」人と分かち合うということに、ワクワク感をもっている人−−−−。自分も含めそういう人が一番多かったかもしれない。

というわけで、私たちを結びつけているのは必ずしもBLではなく、一番は「性に関することを楽しく安心して話せる場があったらいい」というニーズなのだ。そもそもBLは、女性が持っているこうした潜在的なニーズに対する一つの「解決」として生み出されたという側面があると私は思っているのだが、この会ではそのニーズをもっと直接的に−−−−つまりは必ずしもBLを媒介とせずに−−−−満たしてみよう!ということを企てたのだ。

12月の座談会では、それぞれの参加者が「BLの、エッセイの、または座談会の何に惹かれて、あるいは何が気になって座談会に参加したのか」について、二人一組でよく話し合って明確にしてもらった。次に、「その人が惹かれている/気になっている何かは、普段その人が無意識に抑圧していたり、表現することを躊躇ったりあきらめたりしていた感情や欲求を解放し、自由にしてくれる糸口ではないか」と私は考えているので、「自分が惹きつけられている/気になっている方向性に沿って、普段の自分がもっている抑圧や抵抗、あきらめから100%自由な存在」についてイメージを膨らませてもらった。

以下は座談会に参加してくれたカウンセラーのTakoさんが、ワークについてシェアしてくれた内容である。

結局わたしが気になっていたのは、

セックスも含むコミュニケーションのことだと思う。

Takoさんはエクササイズの時、かつてのパートナーと、セックスについて言葉を通してのコミュニケーションができなかったことが頭に浮かんでいたと言う。さらに彼女は、かつて女性同士でも「セックスについてのコミュニケーション」を持つことができずにいたとのこと。最近になって、私や、私の友人たちとそのことについてコミュニケーションができるようになり、そこで味わった楽しさや解放感が忘れられず、座談会に参加することになったのだという。

そのことについてワークして、わたしが求めるものを体現する自由な存在を思い浮かべた時に出てきたものは、

裸で、でん!と立つ女性だった。

で、その女性の性器のあたりに、黒々とした闇のような穴が存在していた。

それは黒い深遠のようで何も見えない未知の世界だった。

それは何かを引きずりこむ黒い穴でもあり、

何かを生み出す大いなる黒い穴でもあるようだった。

しかしそれは黒々と何も見えず、

そこに何があるか、人々も、それを持っている女性自身にも未知のものだった。

その未知のものを、自分自身でさえ恥ずかしく思ってしまうというのがこれまでのわたしに起こっていたこと。

しかしその女性は堂々と立ち、その深遠の闇である穴をさらしていた。

この日、私を含め他の参加者がワークして辿り着いた人物像も、どこかしらこれと似たものが多かったように思う。

この穴・闇は、女性器そのものかもしれないし−−−−実際その中を見ることはできないからね−−−−「女性性」みたいなものかもしれないし、女性が「男性には関係ないことだから言ってもしょうがない」と思って言葉にすることを怠ってきた色んな経験のことかもしれない。

自分のもつ闇、未知の部分を恥じ、隠すのではなく、そこに「それ」があることを認め、むしろ「これって不思議だね」と愛で慈しみ、堂々と自分にも他人にもその存在を誇示し、それと共にあること−−−−。

ああ、そのようなもので私はありたい!

というわけで、私も含め主催者側も参加者の熱に大いに触発される会となった。

これを敢えてBL風に言うなら「胸張ってこうぜ!バディ」ってとこか?

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