エピソード2

次に中学生の頃の私の転機について述べよう。その頃私達は、学校教育やら、親からや、書物から、また同年代の友人達から、セックスについての情報を仕入れる年齢だった。

最初は恐らく、事実を表面的に受け止めていて、男女のセックスの肉体的な仕組みを知ったからと言って、自分の人生プランにさしたる変更を加えるほどのことではないと思っていた。

しかしそのうちに、次のような疑念が私の頭の中で渦を巻き始めた。それは「女性の肉体が、セックスに関して受け身にできているのではないか?」という疑問だった。端的に言えば「挿入される」=「受け身」なのか?という疑問だ。

さらに私は、その年になるまで、自分が女性だからという理由で何かできないことがあるなどとは思ったことがなかったので、自分が挿入することができないという事実に、単純にショックを受けた。そもそも当時の私は、「挿入したい」という明確な衝動をもっていたわけではないと思うのだが、それでもショックであることに違いはなかった。

読者は、私が「その年までできないことがあるとは思っていなかった」ということに対して驚かれるかもしれないが、私としても育つ過程の中で、女性だからという理由で制限される感じを全く持たなかったというわけではない。しかし、「女性らしくするように」という外圧に自分を合わせることは、自分がこの世界を生きやすくするための選択だという意識があったのではないか。しかるに、「挿入することができない」ということに関しては、もちろん自分が選択したこととは思えなかったのだ。

話を戻すが、この時恐らく私の頭の中には、「挿入される」=「受け身」=「劣っている」という単純な二項対立的な図式があり、そのような価値判断によっても私は傷ついたのだと思う。こういった図式が、その名も「男根中心主義」と呼ばれるものであることは、後から知った。つまり、私がこのような感じ方をしたことには、文化的社会的な妥当性があるということだ。

また、このような感じ方を、当時の私の個人的な人格発達上の未熟性に帰すこともできる。思春期・青年期という、アイデンティティを確立していこうとするまさにその途上にあって、世界と能動的に関わる経験を積むことの大切さは計り知れないものがある。

今の私であれば、「挿入される」ということにある種の「受け身」性があるからと言って、性的な人間関係や人生自体に対して受け身である必要は全くない、と当然のごとくに思えるのだが、当時はそのように割り切ることが難しかったし、「挿入されるという受け身を能動的に行う」具体的で魅力的なモデル像というものが私の周囲には不足していたのだろう。

さらに私にとって決定的に悪かったのは、周囲の大人達が、私がよもやこういった事柄に傷ついたりショックを受けたりする可能性があるなどとは想定していないように見えたことである。

たとえ大人達が想定していなくとも、私自身に自分の傷つきを声高に言ってのける強さがあり、それを受け止めてくれる社会であったなら、私の傷つきはもっと軽くて済んだことだろう。さらに、世界と自分自身をもっと肯定することができていただろう。

そうだったらよかったと心底思うのだが、当時の私は残念ながらそのような力を持ち合わせていなかった。また、「異性として男性に求められたい」という願望も私は持っていたため、このような女性として「普通ではない」−−−−というふうに考える必要もないと今では思うのだが−−−−ように思える感情を口にしても何も得することはないかと思ったのかもしれなかった。

こんな風にして、実際には世間的な圧力と戦ってみることも何もしないうちからその圧力に屈し、自分にとってはごく自然な感じ方を−−−−同年代の女性達の間でほんの少し口にする以外では−−−−はっきり言葉にする機会もなく、自分で自分を黙らせてしまった私は、この傷つきから回復するために人の助けを借りることができなかったばかりか、同じように傷ついている人が果たしてこの世にいるのかどうかということをはっきりと確かめることもできなかったのだった。そして「こんな感じ方はこの世で自分ただ一人かもしれない」という考えは、私に大変な恐怖と孤独の感覚をもたらした。

繰り返しになるが、もしこのとき私が、自分の傷つきを言葉にして誰かに伝えることができていたならば、私は「受け身」であることの傷つきに対して「主体的に対処することができた」という自己効力感を持つことができたのではないかと思う。しかし、「受け身」であることの傷つきに対して、他力本願的に、まさしく「受け身」的にしか対処できなかったことがこのときの私の問題であった。

上記が、挿入されることの「受け身」性についての私の傷つきだが、女性が初めてセックスをするときの肉体的な痛みについて知るようになると、そのことによっても私は傷つき、かつその時の痛みに対して大きな恐れ抱くようになった。そして、痛みへの恐れが「ますます私を受け身的にするから」という理由で、そのような痛みを生み出す人間の肉体を憎んだ。

このように、男女のセックスの肉体的な仕組みを知るということがきっかけで生じた傷つきによって、私のそれまでの人生観は根底から覆された。

その傷つきは−−−−誤解を恐れず言うなら−−−−私という存在が「世界や神(私は特定の信仰をもっていたわけではなかった)から愛されていない」という、宗教的な破局の感覚をもたらした。そして、私をこのような苦悩に陥れた人間世界、さらにはこのような生殖の仕組みを造り出したと考えられる自然に対してまでも、怒りと憎しみと復讐心を私は抱いた。幸いにして私はそのような行動には至らなかったが、こういう行き場を失った感情が、場合によっては無差別殺人などの凶行に人を駆り立てたとしても私は全く不思議に思わない。

上記の通り、思春期の私は自分の感じたことを公にすることができなかったわけだが、内面の空想世界に限って言えば、こういった感性を大事にすることを少しも諦めたわけではなかった。「女性は挿入されるものなのだ」と何の疑問ももたずに受け入れているように見える女や男の大人たちは、私の目にはどうしようもなく鈍感な人間に映った。

まあ確かに、私がどんな意志を持ったところで、人間のセックスの生物学的な仕組みが根本的に変わるわけはないだろう。かと言って、全く変わらないと思うのも極端な考えである。

自分の感じたことを外に向かって言わないのは、若くて権力がないから仕方がないにしても、もし自分の内側においても何もなかったことにしてしまったとしたら、一体その後の私はどうなっていただろうか?

「我思う、ゆえに我あり」−−−−そう、あの時の私にとっては、このような人に言えない自分の感性を自分の内側だけでも保持し続けることが、そのまま自分の存在を賭けた行為であったのだ。

さらに、「疑問を持つ」ということは「自由な精神をもった人間」の特権であり、何も疑問を持たずに受け入れるということについては、「動物の所業」といった具合に捉えていたのだった。

あの時もし誰かに「疑問をもたずに受け入れる」よう勧められたとしたなら−−−−『クリムゾン・スペル』の主人公みたく−−−−「オレが誰だか、わかってるのか?」と、言ってやったことだろう。

奇妙な事に私は、自分のこのような感性を他人に発見され非難されることを、恐れつつ待ち望むようになってしまった。なぜなら、攻撃を受けることによって初めて、自分の意思を表明する正当な機会が与えられると思ったからだ。そこから考えるに、この時私が最も望んでいたものはコミュニケーションであると言える。さらに、他者からの攻撃を受けなければ自分の意思を表明できないと思っていたというのは、どうしようもなく受け身的な構えである。

私は、自分が被害的に受け止めているこの仕打ち(つまりは人間社会と自然による私への仕打ち)が、必ずしも悪意によって為(な)されたわけではないこと、特定可能な同時代の個人によって為(な)されたわけではないことを、理解していた。というのはつまり、私の感情は怒りであり復讐心であるわけだが、この社会は私の感情の正当性を認めてくれないだろうと私は思ったわけだ。だから、特定の個人からの悪意による攻撃さえ受けることができたら−−−−そうすれば私の怒りや復讐心の正当性を誰もが認めるだろうから−−−−現実の中で心置きなく恨みを晴らすことができるのに、と夢想したわけだ。

最後になったが、当時実際にクラスの女の子同士でセックスについて面白可笑しく話していたときに、誰かが「でも結局女は受け身だからね」と言い、瞬く間にそこにいた全員がシーンとなってしまったことがあった。その言葉は私に死刑宣告のように響いた。

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