冊子はただいま印刷中です。

コミック・マーケット92(ジャンル:評論)で頒布予定の冊子は現在印刷中です。

前44ページ、500円での販売を予定しています。

ページのレイアウト作業は初めての体験でかなりクタクタになりました。

来週に向けて体調を整えたいと思います。

三日目の日曜日、8月13日 東地区 U ブロック 21b(サークル名:腐女子の心の伝道師)です。

目次は、当初の予定と少し変わり、以下のようになっています。

「親殺しのためのファルス」については、今回の入稿に間に合わせることができず、次回以降に発表を予定しています。

             目次
プロローグ BLが私にくれたもの
BLの意義についての先行研究の概観
BLとは、性愛に関して、女性が女性である自らの肉体と「語る存在」としての精神的な欲望を調和させようとする営み
旧来のフェミニズムは必ずしも女性の性的欲望や多様性を応援してこなかった
「異質を受容・肯定する装置」としてのBL
レイプ表現に託された女性の欲望〜受けのファルスを攻めが受け止めるというBLに特徴的な構図〜(やまねあやの作「ファインダーシリーズ」より)
結論
あとがき

 

結論

今回この章は、非常に短く終わらせてしまいました。

今日女性は、BLを通じ、「女性であることで、ファルス的欲望を諦める必要なんかない」「セックスにおいて女性器を満足させることと、精神的な欲望を追求することは充分可能だ」というポジティブなメッセージを発信し、また受け取っている。

入稿を済ませたので、書き加えることができないのですが、私としては、今回の論考に次のようなポジティブなメッセージを込めたつもりです。

「大人になるということは、女性であることへの過剰適応から解き放たれ、自由になるということ」

レイプ表現に託された女性の欲望〜受けのファルスを攻めが受け止めるというBLに特徴的な構図〜(やまねあやの作「ファインダーシリーズ」より)

この章は、次の二つの部分で構成されています。

BLにおけるレイプ表現の意味〜先行研究の概観〜

受けのファルスを攻めが受け止める(やまねあやの作「ファインダーシリーズ」より)

私にとってBLのレイプ描写は、「『受け』が『女を演じる』ことなく、それゆえ『決して自分からは男になびかない・媚びない』にも関わらず、受けの魅力は『攻め』によって『否応無く』発見され、『受け』は何の苦労も努力もなしに––––少なくとも『女を演じる』という苦労や努力はなしに––––しかも真っ当に『女を演じている』女たちを尻目に––––快楽をほしいままにする」という女性のファルス的欲望の表明として理解できる部分があるからだ。・・・・・・・・・

「異質を受容・肯定する装置」としてのBL

前章では、フェミニズムが必ずしも女性の欲望や多様性を応援してこなかったことに触れ、それを批判する形で出てきたフェミニズムの新しい動きと、腐女子文化の関連性についての先行研究を紹介した。本章では、BLが性に関して多様な女性の受け皿となっている現実を個別の例を通じて提示する。・・・・・・・

(中略)

上記の例から、BLには、性に関する多彩なマイノリティ性を抱えた女性が自己の異質性を受容し、肯定することを助ける働きがあると言えるのではないだろうか。

愛好家がBLから受け取るメッセージはとてもシンプルなものである。

−−−−自分を信頼しなさい。自分が心地良いと感じることを大切にしなさい。そう、世間が何と言おうと、である。

旧来のフェミニズムは必ずしも女性の性的欲望や多様性を応援してこなかった

この章では、以下のような事柄に焦点を当てています。

女性の性的欲望を無視するフェミニズム

「反ポルノ」論者が作り出した新たな差別

欧米におけるフェミニズムの新展開

フェミニズム第三波と腐女子文化の共通性

 

書き出しはこんな感じです。

フェミニズムは、「性が関わることにおいて女性は被害を受けなければ『御の字』であり、『性を楽しむ』などという欲の深さは不謹慎である」と女性に感じさせることで、女性の欲望を抑圧してきた、と思う。

私が個人的にSMの嗜好を持つことと、フェミニズムに対してこのように感じてきたことは無関係ではない。・・・・・・・・・・

BLとは、性愛に関して、女性が女性である自らの肉体と「語る存在」としての精神的な欲望を調和させようとする営み

コミック・マーケット92で頒布予定の「女性による女性のための神話としてのBL」のセクション3のさわりを紹介します。

論点の整理

まず、前章で四人の論者が指摘した、女性がエロスを楽しむ上での障害について整理してみたい。中島においてそれは「男権主義社会の制度」であり、野火においては「性愛における女性差別」とそれを内面化した女性の意識、そして肉体的な男女差、斎藤においては、「語る存在」であることと、「女を演じること」との齟齬、溝口の場合は「社会のホモフォビアや異性愛規範やミソジニー(家父長制社会)」である。これらの「障害」について、あえて分類すると、社会のありように関するもの、女性自身の内面についてのもの(意識的なもの、無意識的なもの含めて)、そして生物学的なものの全てが含まれていることがわかる。

どこに着目するかの違いはあるものの、四人の論者はすべて、女性が性愛を楽しむことに関して何らかの障害があり、その障害を回避して性愛を楽しむためにBLを愛好する、と考えていることになる。

その他に四つの論に共通しているのは、「自分が自分であることによって愛される」ということと、女性であることによって愛される−−−−女を演じることによって愛される、女性としての社会規範に沿うことによって愛される、女性の肉体を持つことによって愛される−−−−ということとの対立の図式である。

最初に述べたように、筆者は大筋でこれら先行の研究者の考えに同意するが、筆者なりにこれらをまとめて再提示することを試みたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・”

BLの意義についての先行研究の概観

コミック・マーケット92で頒布予定の「女性による女性のための神話としてのBL」のセクション2の内容を紹介します。

BL文化の意義に関する以下の四つの主要な先行文献の内容を紹介します。

中島梓(1998)『タナトスの子供達−−過剰適応の生態学−−』

野火ノビタ(2003)『大人は判ってくれない−−−−野火ノビタ批評集成』

斎藤環(2009)『関係性の化学としての文学』

溝口彰子(2015)『BL進化論−−ボーイズラブが社会を動かす−−』

 

プロローグ BLが私にくれたもの

コミック・マーケット92で頒布予定の「女性による女性のための神話としてのBL」のセクション1のさわりを紹介します。

 本文に先立ち、私が個人としてどのような立場でBLと関わってきたのかを明らかにしておくことは、読者と私の双方にとって有用であろう。

 本書は「BL愛好家の女性にとってのBLの意味」を論ずることを目的としているが、私はこれを書く以前、「私個人にとってのBLの意味」について考察するエッセイを書き、友人たちと共有した時期があった。そのテーマを掘り下げるきっかけとなったのが、心療内科医として(現在は精神科医として勤務中なのだが)個人的に教育分析を受けていた時の、セラピストからの−−−−私にとっては−−−−意外な一言だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(つづく)

コミック・マーケット92に配置が決定しました。

このブログも久しく更新が滞っていたわけですが、なんと、コミック・マーケット92に配置が決定しました。

三日目の日曜日、8月13日 東地区 U ブロック 21bです。

配布物の内容としては、以下のような章立てを考えています(今後変更する可能性もあります)。

タイトル:女性による女性のための神話としてのBL

はじめに

BLの意義についての先行研究の概観

BLとは、セックスにおいて女性がファルス的欲望を貫こうとする営み

旧来のフェミニズムは必ずしも女性の性的欲望や多様性を応援してこなかった

「異質を受容・肯定する装置」としてのBL

マゾヒズムの中にあるファルス的欲望—受けのファルスを攻めが受け止めるというBLに特徴的な構図–

女性のファルス的欲望と「親殺し」

結論

 

「BLを好きな理由」を考察して変わったこと

「私はどうしてBLが好きなのか」を深く考察できたことは、私にとって大きな転機となりました。

まあ、他人にとっては正直なところ「私がどうしてBLを好きか」なんて全くどうでもいい話かもしれないんですけど(笑)。

それまでの私は、いつも何となく、自分の心や体が空っぽな感じがしていました。それもそのはずです。自分が何かをとても好きなことは確かなのに、その理由がわからないというのは実際とても変な感じですよ。今書いていて思ったんですが、これって恋に似ているかもしれませんね。あの人のことを好きで好きでたまらないことは確かなのに、理屈ではそれがなぜなのかよくわからない。でもその人なしでは人生が全く空虚に思える−−−−。

好きなBL作品について「なぜ好きなのか」が理解できたら、それがどうなったかというと、その空っぽな感じがなくなったんです。空っぽではなくて、何かが「ある」って感じになったんです。何が「ある」んでしょうか?それは多分「自分の芯」みたいなものです。失っていた自分自身を取り戻したような感じと言ったらいいでしょうか。

ビックリでしょ?!

それだけじゃなく、終わってしまった恋についての未練や執着心も綺麗に解けてなくなりました。

そしてその新しい状態で、恋愛をしたり人と関わったりするのって、それまでとは一味も二味も違う感じになったんです。

BLを読む体験って多分、女性の人生にとって数少ない「性的な欲望を人から(作品から、作者から、他の読者から)純粋に応援してもらえる機会」だと思うんですよ。

どのような欲望を持とうが、それについて「いい」とか「悪い」とか、社会的にジャッジされることなく、ただ単に「私にはこういう欲望があるんだ」ということを知ることができ、「こういう欲望があってもいいんだ」と確認することができる機会。

さらに、性的な欲求だけでなく、性に関する傷つきや、その他の感情についても「こういう思いを自分はもっていたんだ」と気づくことができ、その思いを大切にすることができるようになる。

BLについて考察する前の私は、性に関するいろんな傷つきや体験を言葉にしていなかったので、それらの体験が自分の意識と繋がっていなかったんだと思います。決して記憶を失くしていたわけではないのですが…。

「どうしてBLが好きなのかわからない」という方は、手前味噌ですが、私の書いたものを参考に一度考察してみるのはいかがでしょうか?もちろん、私とあなたがBLを好きな理由は少し違っているかもしれないし、好きな作品ごとに違う理由があるとも思いますが。

もしかしたら、思いがけない素敵なものに出会えるかもしれませんよ!