まえがき3 本書を書くために用いた方法論について〜BL依存症につける薬〜

何を隠そうこの私は「BL依存症だった」と思っている。

BLを読むこと自体は私にとって喜びであり楽しみであったので、そのことで困っているという意識はほとんどなかった。ただ、その趣味をよく思わない人が世の中にいることや、趣味を同じくしていない人に私の趣味を説明してもあまりよくわかってもらえないということでは多少困っていたかもしれない。

さらに、私には次のような「末期的」な症状も見受けられた。即ち、ヒマさえあればBLのことを四六時中考えてしまうとか、ふと気づくとBL作品中のセリフを口ずさんでいるとか、一人になったら間髪を入れずに作品を鑑賞しないと気が済まない−−−−などのことである。

話は変わるが、私はカウンセリングや心理療法など対人援助の目的と、自分自身の心の健康のために、プロセスワークという心理療法を学んできた。その手法は、身体症状や夢といった現象の背景にある、本人がまだはっきりとは自覚していないプロセスへの自覚を深め、それを自我に統合するための手法だった。しかしなぜか数年前まで、その手法を自分に起きている「BL好き」という現象に応用してみようと思うことはなかった。

最初のきっかけが何だったかはともかく、とにかくあるとき私は自分の「BL好き」に対して、プロセスワークでアプローチしてみようと思ったのだ。BLは私にとって、「言葉ではうまく説明できないけれども」、「なぜだか理屈で分からないにも関わらず」、「自然に」惹きつけられてしまう何かだった。まずここから次のようなことが分かる。私のBL好きには「通常の意識とは異なる意識状態」が関与しているということである。「通常の意識とは異なる意識」のことを「変性意識」という。つまり、私がBLに惹かれるのは「変性意識状態」の仕業というわけだ。「自分がBLに惹かれる理由」について、もし私の意識が完全に把握できているならば、私は自分の「BL好き」についてこんな風には感じないはずなのである。即ち「私は○○という理由でBLを愛好している」ということが単純明快に言えるはずなのだ。そして、もし私が自分の「BL好き」について完全に把握できているならば、その理由は、相手がBL愛好家でなくとも、理屈として了解可能なものになるはずである。BL愛好家でない人が私の言うことを理解できないならば、私はまだ自分のことを十分に把握できていないのだ。

というわけで、私の「BL好き」の謎を解明するためには、通常の意識とは異なる意識状態「変性意識状態」を扱うことに長けたプロセスワークが役に立つかもしれない、という可能性を私は感じたのだ。

さて、私がプロセスワークのどういう方法論を用いて自分の「BL好き」を解明したのかを書く前に、私の場合、それを解明することによって、どういうメリットとデメリットがあったかをお伝えしたいと思う。

メリットの1番は、自分自身についてよく知ることができたということに尽きる。「自分をよく知っている」と感じられることは、人に自信を与えるものである。このため以前よりも自分に自信がもてるようになった。また、「BL愛好家でよかった」と心から思えたということもある。それはBLが私をいかに支え癒してきたのかを詳細に知ることができたからである。そして、自分自身について深く知ったことから、BL愛好家でない人とも分かり合える度合いが深まった。

これ以降のメリットは、メリットの1番から自然に派生したことである。

メリットの2番は、私のBL趣味や性的な嗜好を理解してくれたり、共に楽しむことができるパートナーを見つけようという希望をもつことができ、実際に見つけることができたことである。

メリットの3番は、性的なことに関して自分の感じていることを表現する自由度が格段に広がったことである。

メリットの4番としては、以前よりBLに「依存している」という感じがしなくなったこと。だからといって、BLを好きでなくなったりすることはない。

最後になったが、この解明の過程には次のようなデメリットがあったことを付け加えておきたい。デメリットとは、解明の過程には痛みが伴うことである。BLをただ楽しく消費していた時の私は、自分の性的なことに関連した痛みや傷つきにほとんど気づかず、あるいは意識の片隅では痛みがあることを知っていたとしても、敢えてそれを感じないようにして、痛みを帳消しにしてくれる「心地よい刺激」、「快楽」だけを求めていた。しかし、少し立ち止まって考えてみればすぐに分かることだが、どこかに「不快」があるからこそ「快」を求め続ける必要があるのであり、「不快」を元から絶たない限りBLを消費し続けなければならないという問題点があったのだ。

さて、長らくお待たせしたが、私が自分の「BL好き」を解明するために用いた方法論をここで整理しておく。

①まず、自分が好きな作品の中で、特に「好きだ」と感じられる箇所に着目する。このときできれば、「好きだ」と感じられる箇所の中で、「BL特有の表現」と思うものを選ぶ。

②その箇所を「好きだ」と私が感じるのは、その箇所を読むことで私が心地よい変性意識状態に入ることができるから、と考える。そして、その心地よい変性意識状態に留まり、それを十分に味わうようにする。その心地良さがどういう心地良さなのか調べ、それを言葉にする。

③次に、その「普段と異なる変性意識状態」から、普段の自分、これまでの自分の意識状態を振り返ってみる。するとどうだろう。−−−−あら不思議、自分でも「私ってそんなこと思っていたのかしら?」と驚くような隠された傷つきや願望が出てくるはずなのだ。

この①〜③の手順を具体例を挙げて説明してみる。

例えば私がBL漫画で「受け」が「攻め」に対して「オレを侮るな」と主張するシーンを「好きだ」と感じたとする。補足すると、こういったセリフは大抵、受けが攻めに「女扱い」されたと感じるときに出てくるものだと思う。

次にこのシーンで私が感じた心地良さをよく味わってみると、私は「オレを侮るな」という自己主張をする受けに感情移入して、自己主張することの心地良さを感じているということが分かる。

次に、この心地よい状態から普段の自分の意識状態を振り返ってみる。そこから分かることは、「自分を侮るな」というような自己主張を私は人に対して、特に男性に対してしたい気持ちがあるのだろう、しかし、同時にそのような自己主張を行うことに私は困難を感じているのだろう、ということである。さらに、「攻め」ではなく、「受け」が「侮るな」と主張するところに私の快楽があるのだとすると、「女扱い」されること、または「挿入されるポジションにある」ということに対して、自分はどこか劣等感を持っているのかもしれない、といったことも考えることができる。

また別の例を挙げる。あなたが、「攻め」が「受け」に対して優しく接するシーンがとても「好きだ」と感じていたとする。そのシーンで味わう心地よさをあなたがよく味わってみると、それが「優しくされる心地よさ」であることがわかる。その心地よい意識状態のところから普段のあなたの意識状態を振り返ってみて分かることは、普段のあなたが、パートナーの男性が自分に対して、または世の中の男性が女性に対して十分に優しくない、と感じていること、またはあなたが「もっと優しくしてほしい」と男性に伝えることに何らかの困難を抱えているのだろう、ということである。

基本的にこの①〜③の手順の繰り返しにより、私は「どうして自分がBLを好きなのか」、「BLで癒されるのか」についての理解を深め、この本にまとめたのだ。

さて、「なぜBLが好きなのか」を解明するという目的からは多少逸脱するように思われるかもしれないが、この後に手順④として、③で得た気づきを元に、自分の隠された願望の方向性に沿って、または自分の傷つきを癒していけそうな方向性に沿って、実生活、特に人間関係のあり方を改革することができれば、より充実した幸せな生活が送れるようになることは間違いない。手順③で、自分の願望や傷つきを自覚するだけでも、BLに依存している感じが減少することがあると思うが、手順④まで進み、現実の人間関係を通して満たされる度合いが増えることでさらに減少する。こうして③で得た気づきには確かに意味があったということが、実生活における幸せを通じて証明されることになるのだ。

なお、ここまで見てくると、BL愛好家はそうでない人に比べて、性に関するコミュニケーションに困難を抱えている人という印象を与えるかもしれないが、私はそうは思っていない。なぜなら、私の書いたものや私とのコミュニケーションを通じて、BL愛好家ではない私の女友達の多くが、性に関する自身の感情を自覚し、それについて話せるようになり癒されるという体験をしたからだ。つまり、私がBLを通じて気がつくことができた感情の多くは−−−−もちろん個人差があるが−−−−多くの女性にとって意味のあることだったのだ。

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