BLとは、性愛に関して、女性が女性である自らの肉体と「語る存在」としての精神的な欲望を調和させようとする営み

コミック・マーケット92で頒布予定の「女性による女性のための神話としてのBL」のセクション3のさわりを紹介します。

論点の整理

まず、前章で四人の論者が指摘した、女性がエロスを楽しむ上での障害について整理してみたい。中島においてそれは「男権主義社会の制度」であり、野火においては「性愛における女性差別」とそれを内面化した女性の意識、そして肉体的な男女差、斎藤においては、「語る存在」であることと、「女を演じること」との齟齬、溝口の場合は「社会のホモフォビアや異性愛規範やミソジニー(家父長制社会)」である。これらの「障害」について、あえて分類すると、社会のありように関するもの、女性自身の内面についてのもの(意識的なもの、無意識的なもの含めて)、そして生物学的なものの全てが含まれていることがわかる。

どこに着目するかの違いはあるものの、四人の論者はすべて、女性が性愛を楽しむことに関して何らかの障害があり、その障害を回避して性愛を楽しむためにBLを愛好する、と考えていることになる。

その他に四つの論に共通しているのは、「自分が自分であることによって愛される」ということと、女性であることによって愛される−−−−女を演じることによって愛される、女性としての社会規範に沿うことによって愛される、女性の肉体を持つことによって愛される−−−−ということとの対立の図式である。

最初に述べたように、筆者は大筋でこれら先行の研究者の考えに同意するが、筆者なりにこれらをまとめて再提示することを試みたい。

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