自己ギャップ萌え?

夏コミで頒布したBL評論の冊子「女性による女性のための神話としてのBL」が、十分納得いく内容ではなかったので(どうも申し訳ありません汗)、今回は、その続編でなく、バージョンアップした内容で臨みます。

 今回BLを読み解くためのキー概念として、「自己ギャップ萌え」を発案しました。

この概念を使うとBLの感動やSMの嗜好をとてもうまく説明できちゃうのです。

そして、長年「何かおかしい」と思いながらもどこがどうおかしいのかスッキリ説明できずにモヤモヤしていたこんなこともうまく説明できちゃったのでした。

以下は頒布予定の冊子からの抜粋です。

自己ギャップ萌えから女性の性的興奮の特徴を読み解く

話がそれるが、漫画とセクシュアリティの研究者である堀あきこは、その著書『欲望のコード』の中で、男性向けのポルノグラフィと女性向けのそれ(BL以外の性的表現を含む女性向けコミック)との最大の差異は、「男性向けでは性的欲望の対象となる女性身体が描かれるが、女性向けでは男性身体に視線が向かわず、女性身体が描かれる点にあると指摘されてきた」ことを紹介し、「女性の性的欲望が女性の身体に向けられることは、男性中心的な性規範を内面化していることの表れとして捉えられてきた」としている。例えば、フェミニストで社会学者の上野千鶴子は、「女が性的に興奮するのは……男性の視線を介して<性的客体化>された自己身体に対してなのだ。女はそれほど深く客体になることを内面化してきた」とし、漫画研究家の藤本由香里は、「女という性がそもそも自己に固着しており、<男性の性的欲望をそそるもの>という迂回路を通ってしか自らを性的存在として認知しない傾向がある」と述べている。

しかし、私は「自己ギャップ萌え」の観点から、これに明確に反対する。

普段は主体的に生きている女性が、客体としての自己を意識したときに、アイデンティティ・ギャップもしくはアイデンティティ・シフトが生まれ、そのギャップが女性をエロティックな気分にさせる(残念ながらただ単に不快にさせる場合もある)のである。上野や藤本が言うように、普段から自己を客体として認識していたら、男性との関わりの中でアイデンティティ・シフトが生じることはなく、不快にもならないかもしれない代わりに、興奮もしないのではないだろうか。もちろんこれは健全な状態とは言えないだろう。

同様に−−−−この部分は自己ギャップ萌え理論ではなく、通常のギャップ萌え理論で説明されることだが−−−−普段は主体としての自分を尊重してくれる男性が、ときに自分を客体として扱うから興奮するのであって、普段から、客体としてしか自分を扱わないような男性に対して興奮を感じるだろうか?そこには何の意外性も非日常性もない。つまりドラマがないのである。

女性は男性の客体としての自己に興奮するのではなく、主に自己の−−−−そしてときに他者の−−−−アイデンティティのシフトに興奮するのである。自己のアイデンティティ・シフトに興奮する部分は、自己への固着と言えなくもないが、普段のアイデンティティに固着していたら、今度はアイデンティティのシフトを受け入れられないであろう。

次項では、自己ギャップ萌えのさらに別の側面について言及する。

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